あの街の現実と、カードに聞いた希望の行方
友人が見た「あの街の現実」
久しぶりに海外へ旅立った友人から、サンフランシスコの様子を伝える投稿が届きました。
「海外ってやっぱりいいよね」とウキウキしていた彼女が見たのは、かつての美しい街ではありませんでした。「叫んでる人、くの字に折れたまま動かない人、行き倒れている人……
覚悟してた以上にゾンビタウンだった。」
その言葉に、わたしの中にもかつてのサンフランシスコの記憶がよみがえります。
爽やかな風、ケーブルカー、坂の上から見える海。
旅人を歓迎してくれるような、あの優しい街並み。

けれど今、彼女が見たのは、
薬物におぼれた人たちが路上に倒れ、目の焦点が合わないまま歩く姿。
「もう、あのサンフランシスコではないのかもしれない」——そんな声が聞こえてくるようでした。
崩れゆく社会と、アメリカのいま
でも、それは決してサンフランシスコだけの問題ではありません。
いまのアメリカでは、ホームレスの増加、薬物依存、精神疾患の拡大、
そして富裕層と貧困層の格差が、かつてないほどに広がっています。
特に西海岸の都市では、フィンタニルという強力な麻薬の蔓延が深刻で、
人が人としての尊厳を保てないまま、街角に倒れている現実があります。

その背景には、政治の混乱もあります。
トランプ政権以降、アメリカは左右の分断がさらに進みました。
都市部はリベラル、地方は保守。
価値観の衝突が社会全体に広がり、「まとまりのない国」と言われるようにもなっています。
社会のひずみ、そしてそのひずみが生んだ「見たくない現実」。
そして、わたし自身にも思い出される「もうひとつのアメリカ」があります。
それは、娘の旅立ちとともに過ごしたロサンゼルスの日々——
ロサンゼルスの空と、娘の決意
今から10年ほど前。その頃、アメリカは私にとって「憧れの海外」ではなく、
思いがけず“人生の舞台”になりかけていました。
というのも——
うちの娘、高校2年のある日、突然こう言ったんです。
「学校、辞めて留学したい」
……は?
頭の中が「???」でいっぱいになったのを、今でも覚えています。
まさかの展開。いや、ドラマのセリフですかそれは。
しかも、娘はそれまで体育を除いては見たこともないような成績で、
英語にいたっては、“犬に話しかけるほうがまだ通じる”レベル。笑
それでも彼女の目は真剣でした。
「本気なんだな」と気づいた私は、
震える手で退学届を書いたのを覚えています。

これが、彼女の“本当の物語”の始まりだったのです。
退学が決まった途端、娘のスイッチがカチッと入りました。
今まで見たことがないほどの集中力で、英語と向き合い始めたんです。
朝起きては単語帳。寝る前もリスニング。
休日も塾や図書館で自習。
「……誰!?」
これまで“勉強なんてやる気出ない星人”だった娘が、
まさか自発的に勉強するなんて!
人生って、本当にわからないものですね。
そんな娘の努力が実を結び、数ヶ月後、彼女はロサンゼルスへと旅立ちました。
空港で見送るとき、友人も一緒に来てくれていたのですが、
友人の方が泣いていました。
私は全く!だって、横で泣いている友人と共に
1週間後に私たちもロサンゼルスに行くという計画を立てていましたから。笑
成長の舞台——ロサンゼルスの日々
娘が留学先として選んだのは、カリフォルニア州ロサンゼルス。
そして、その中でも穏やかで美しい海辺の街——オレンジカウンティーが、彼女の新たな生活の舞台となりました。
まぶしい日差し、ゆるやかに揺れるヤシの木、そしてどこまでも続く青空。
ここが、あの震える手で退学届を書いたあの日の“その先”だなんて。
人の人生って、本当にわからないものですね。

娘の生活は、想像以上に順調でした。
英語がまったく話せなかった彼女が、
現地の学校ではきちんと成績を取り、宿題も真面目にこなし、プレゼンまでこなしていると聞いたときは、
「もしかして似た名前の別人じゃない?」と一瞬疑ったほど。笑
お友達ともすぐに仲良くなって、みんな
「腹へった〜」の日本語を楽しそうに使っていました。
それもそのはず。
渡航前から続けていた猛勉強が身を結び、
努力と根性で「留学生」ではなく、「ちゃんとした生徒」として現地で認められるようになっていたのです。
そしてホストファミリーにもとても可愛がられ、
わたしが滞在のたびにお会いするたびに、日本人って素晴らしい!
「あなたの娘は本当に素敵な子よ」と褒めていただき、
「いやいや、それほどでも…」と謙遜しながら内心ニヤけていたのは言うまでもありません。笑
そんな娘の成長を見守る名目で、私はちゃっかり、年に1〜2回ロサンゼルスを訪れるようになっていました。

オレンジカウンティーの子どもたちは、
学校が終わると「遊びに行こう!」といってビーチでサーフィンをしたり、
芝生の上でのんびりピクニックを楽しんだり、
とにかくのびのびと自由に育っているのが印象的でした。
安全で、明るくて、どこか品がある。
都会のようなせわしさや、社会の影も感じさせない——
あの場所には、”希望”という言葉がしっくりくる空気が漂っていたのです。
同じアメリカの中でも、サンフランシスコとロサンゼルス、
そしてその中でも特にオレンジカウンティーはまるで別世界。
一方では、薬物とホームレスがあふれる荒れた街。
もう一方では、海風と笑顔が広がる穏やかな街。
「国」や「場所」でひとくくりにしては語れない現実が、そこにはありました。
そして思うのです。
人もまた同じ。
どんな状況でも、どんな場所からでも、
自分の意思と努力で「まったく違う景色」へと進むことができるのだと。
娘が教えてくれたことは、まさにそのことでした。
ルノルマンカードに尋ねてみた——カリフォルニアは輝きを取り戻せるのか?
美しかった街が、疲れたような表情をしている。
冒頭で紹介した友人の見た今のカリフォルニア
カードを引いてみました。
テーマは「カリフォルニアはもう一度、あのキラキラした輝きを取り戻せるのか?」
現れたのはこの3枚です。

月(32)
ゆり(30)
山(21)
一見、穏やかで美しいカードたち。けれど、その裏には深いメッセージが隠れていました。
まず、月。
これは「感情」「評判」「名誉」「芸術性」など、目に見えない評価や内面の揺らぎを象徴するカード。
つまり、今のカリフォルニアは「見た目の華やかさ」の裏側で、人々の心の疲れや不安が積もりに積もっているのかもしれません。
次にゆり。
このカードは「品位」「成熟」「良識」そして時に「権威者」「導き手」を表します。
今回の文脈でこのカードが出てきたとき、わたしは思いました——
この街、この州には、誠実で成熟した“新しいリーダー”が必要なのだと。
最後の山。
これは「障害」「困難」「長い時間がかかるもの」。
一朝一夕では変わらない。けれど、だからといって不可能でもない。
時間はかかるけれど、正しい道を選べば、確実に登っていける山なのだと、カードは教えてくれます。
つまり、カードが伝えてくれたのはこういうこと:
今は心が荒れていても、
人々の中にまだ希望や誇りの火は消えていない(月)
そこに、誠実で責任あるリーダー(ゆり)が現れれば、
どれほど困難な道でも、時間をかけて再生できる(山)
これは、カリフォルニアという街に限らず、
わたしたち一人ひとりの心にも向けられたメッセージだと思いました。
誰かのせいにするのではなく、
感情に流されるのでもなく、
静かに、でも確かに「こうありたい」と願う心が、
未来を少しずつ変えていく。
カードが教えてくれたのは、「希望」ではなく、「責任ある希望」。
それは、甘い夢ではなく、しっかりと地に足のついた未来への意志でした。
そして、そんな意志をもつ人がひとり、またひとりと増えていけば、
カリフォルニアにも、私たちの暮らしの中にも、
もう一度“キラキラした光”が戻ってくるのだと思います。
ふたつの景色が教えてくれたこと
人も街も、「変わりたい」と願った瞬間から、
少しずつ前に進めるのだと思います。
旅にはいろんなかたちがあります。
飛行機に乗る旅もあれば、心の中をめぐる旅もある。
今回は、友人が見た荒れたサンフランシスコと、
娘との日々を過ごしたロサンゼルスという、
ふたつの全く異なる景色を通して、「変化」と「希望」を感じました。

あの穏やかだったロサンゼルスも今は変わりつつあります。
安心だった場所が、そうではなくなっていくこともある。
でもだからこそ、いま目の前にある風景を、大切にしたいと心から思います。
人生は思い通りにはいかなくても、
動いた先には、思いがけない景色が待っている。
それを教えてくれたのは、ひとりの友人と、ひとりの娘、そして3枚のカードでした。
今日という日が、あなたにとっても
「小さな一歩」になることを願って。
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